坐禅は無念無想になることだと思っていません?

我々はいつの間にか、どこで聞いたか知らないけれど、先入観を持っているようです
たとえば、
「煩悩がなくなると悟れる」
「悪いカルマが消えたら悟れる」
「立派な人や人格者が悟れる」
「優しい人の方が悟りやすい」
「悟った人はいつも愛にあふれている」
「坐禅とは無念無想になること」
「修行僧のような生活を送らないと本格的な坐禅はできない」(体験者語る:修行僧あまり坐禅していません どのように坐禅したらよいか教えられないので、居眠りしている人多いです 在家でも熱心な人は修行僧以上です)

「坐禅の境地で日常を送れるようになるように修行をする」
とかです。
だれに聞いたのでしょうか、そのようなものだと思いこんでいます。

上のは全部誤りのようです。


そして・・・
850-276hekikuu

坐禅は心の中を見つめることではありません

坐禅は心を整理することではありません

坐禅は思いを出ないようにすることではありません

坐禅は雑念を消すことでもありません

坐禅は精神を統一することでもありません 身心を一如にすることでもありません

坐禅は何かに集中することではありません

坐禅は心を整えること(調心)ではありません

坐禅は、呼吸とは関係がありません 丹田とも関係がありません

坐禅修行は、煩悩を出ないようにすることでもありません

坐禅は何かを達成しようとすることではありません

坐禅は何かの境地に至ったらそれを維持しようと努力することでもありません

坐禅は今という瞬間を逃さないように居ることでもありません

坐禅中に悟りのイメージを描いていると決して悟れないようです

では、どうすればいいのでしょうか?

本当の坐禅は何もしないことです。心に働きかけることはありません。
(何もしないようにすることでもありません)

でも、これだけではよく分かりませんので、悟りを開いている指導者(我々の先輩)に参禅をしています。


 坐禅はいつも必ず目を開いて行います 

申し上げます。今までの坐禅は忘れて下さいませ。
世間で説かれてたり本に書かれたりしている座禅や瞑想方法と、悟りの系譜につながる方々の説かれる坐禅・修行方法はまったく異なります。

正しい指導者に師事すれば、今まで坐禅と思っていたものは坐禅ではなかったと分かります。
本当に真理・真実を知りたい方、今の自分のままで悟って根本的解決をしたい方、生死の問題を解決したい方は、悟りを開いている方※に参禅をおすすめします。
※生きている人に直接師事しないと無理です 悟っていても亡くなった方の本やブログでは正しく伝わりません

悟りの体現者を神戸・大阪・京都にお呼びして、坐禅会が開催されています。
井上貫道老師大阪坐禅会の詳細はこちらに
日曜日が良い方は、井上貫道老師神戸坐禅会
井上貫道老師の全国坐禅会日程はこちらに
松本自證師(井上貫道老師弟子)の関西坐禅会はこちらに


井上貫道老師とは

昭和19年、浜松に生まれる。五,六百年不出の名僧といわれる井上義衍老師に幼少より法を聴き、わずか、10代にして見性・身心脱落(悟り)を得る。 36歳の時に井上義衍老師より印可証明(文書)を受く。井上義衍老師の法嗣。現在静岡県掛川市の少林寺在。 
仏教や禅の話を専門用語を使わずにやさしい現代語を使ってわかりやすく説かれ、その話は、仏教の本質的な話のみならず、人間関係や子育てにもおよぶ。
難解とされる『正法眼蔵』をも自由自在に説く。 現在,請われるままに、東京・静岡・関西・岡山など各地の坐禅会で指導している。
学生など若い人から壮年まで、在家(一般人男女)のみならず出家の参禅者も多い仏教界屈指の禅僧。
新幹線のような長旅の電車に乗ると気軽に隣の人に話しかけたり、話しかけられたりすることが多く、すぐ人と打ち解けることができる。新宿である人を待っている時に、そばに居たホームレスの人と談笑されていたというエピソードもある
講師として招待されて行っても、行き先で気軽にお手伝いを始めちゃうので、みんなに好かれる人柄。
絶妙なユーモアの持ち主でもある。